●こんにちは
ゴールデンウィークの疲れは取れましたか

これから暑い日が続きますので、疲れをためないようにしてくださいネ
さて…
高校を卒業して、自動車整備の専門学校へ通ったボクだが、
はじめて就職したのは、自動車整備とはまったく関係のない「ホテル」だった。
東京の銀座にあるホテルで、寮は北新宿にある。
19歳にして、都会でのひとり暮らしがはじまることになる…
不安だらけだった。
まずぶつかったのは、東京の「水のマズさ」
なんというか、水道水がドブ臭い
(今はずいぶん改善されているが)
東北で育ったボクには、とても飲めるものではなかった。
そして都会の空気の汚れ…
長い時間外にいると、鼻の中が真っ黒になる
こんなに違うものなのか…
とショックを受けた。
通勤は、当初は電車通勤(のちに実家においてあったバイクを送ってもらい、バイクで通うようになる)だった。
寮からラブホテル街を抜けて、大久保駅からオレンジ色の総武線に乗る。
市ヶ谷駅で有楽町線に乗り換えて銀座一丁目駅で降りるか、
浅草橋駅で浅草線に乗り換えて宝町駅で降りる。
宝町駅で降りれば、ホテルまでは歩いてすぐだった。
このホテルでは、入社するとまず「宴会課」に配属され、
結婚式、披露宴や各種宴会のセッティングや配膳、接客の仕事をする。
披露宴が多い時は、30分ほどのインターバルで次の披露宴が行われるため、
セッティングはとてもドタバタする(業界ではこれを”どんでん”という)。
そして、レストランやラウンジの仕事を経験した後、フロント勤務となる。
仕事はとてもハードだった。
まず出勤、退勤時間が不規則だ。
PM11:00退勤、次の日AM4:00起きなんていうことはザラだった。
なので、ホテルの仮眠室で寝てしまうこともある。
仮眠室で彼女と電話をしながら、そのまま寝入ってしまったことも何度もあった。
従って、休みの日は大抵お昼まで寝ていることになる。
起きて掃除、洗濯、炊事。これで夕方になってしまう…
遊びといえば、寮の近所でパチンコをするか、ホテル仲間でマージャンをするくらいしかなかった。
そんなハードワークの中、同期入社の社員がひとり、またひとりと辞めていった。
そしていよいよボクの番になる…
この仕事をしていて、1年後、3年後、5年後の自分がまったく見えなかったこともあるが、
辞めることになった理由は他にもあった。
このホテルに入社する時、ボクには両家族公認の付き合っていた彼女がいた。
女子高時代にはバスケットボール部に所属して、「7」番をつけてシューターをしていたとてもステキな女性だった。
彼女は高校卒業後、服飾系の専門学校に通っていたが、ボクの東京への就職が決まった時、
「一緒に東京へ付いていく」
と言ってきかなかった。
ボクは、
「仕事や環境に慣れたら迎えにいくので、それまで待ってほしい」
と説得して、彼女も納得してくれた。
東京へ出発する新幹線のホームでは、テレビドラマのシーンに登場するような悲しい別れもした。
その後、彼女は何度かボクが住む寮に遊びに来てくれたが(ホントは寮生以外は入ることができないが、仲間が手伝ってくれた)、
20歳を迎えた成人式の日、仕事で帰省することができなかったボクに対して、
成人式に出席した彼女は、まわりの同級生がみんな幸せそうな顔に見えて、
「どうして私だけ、毎日つらい思いをしているのだろう…」
と悲しみ、自分を責め続けたそうだ…
それがひとつのきっかけになって、ボクたちは別々の道を歩むことになった。
ボクはそれ以降、仕事どころではなくなって、ほどなくホテルを辞めることになる…
それ以降、彼女とは何度か会ったが、ボクたちが元に戻ることはなかった。
彼女との思い出は、あふれるばかりにたくさんあって、ボクの人生の中でも一番輝いていた時のひとつでもあった。
彼女には辛い思いをさせて、本当に申し訳ないことをしてしまった…
その後、「ホテル」の仕事には2度就く機会に恵まれ、マネージャー職も務めた。
いづれも素晴らしい仕事場だった。
ドラマ化された「ホテル」という番組が話題になったことがあったが、あのようにホテルには、いろいろな人間関係のドラマがある。
そして、ともに汗を流して働いたホテルのスタッフとは、今でも交流がある。
自分の基礎を作り、また自分の未熟さを知り、そして自分を育ててくれた仕事、
それが「ホテル」だ。
いつかまた、この業界には「恩返し」をしなくてはいけないかもしれない…
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