●こんばんは
実はボクが通っていた高校は、急な山を登って降りてまた登ったところにある、
空手や柔道、レスリングなどが強い”男子校”だった。
この山の通学路は、冬は積雪でバスも坂を登れなくなるくらいの傾斜がある。
そして、さらに学校からグラウンドまでは、その山を降りて登ってまた降りたところにある。
そんな立地条件の学校に3年間通っていた。
高校1年生の時は、5段変速機付きの自転車で通学していた。
変速機のない自転車(俗に言うママチャリ)では、ペダルをこいで登ることなど到底できないからだ。
自転車から降りずに坂を登って学校へ到着することが、ボクたちの間では一種のステータスだった。
もちろんボクは、自転車から降りることなく学校まで到着していた。
そのおかげで、ずいぶん身体が鍛えられたのは間違いない
そんな立地条件の学校だったため、条件付きで”バイク通学”が認められていた。
その条件とは…
”自宅から学校まで、直線距離で3,5Km以上あること”
そして、ボクの先輩たちの代までは125ccまでのバイクが認められていた。
ところが…
残念ながら先輩たちは、大きな排気量のバイクで何度か事故を起こしたらしい…
その影響で、ボクたちの代からは排気量50cc未満の”原チャリ”、原動機付自転車に限定されてしまった。
それでもバイクは、高校生のボクたちにはとても魅力的な乗り物だった。
先輩のバイクを借りては、公道でない場所で良く乗らせてもらった。
そしてバイクに乗ることができたからこそ、へらぶな釣りとも出会えたのかもしれない…
なんとかバイクで通学したいと思っていたボクだったが、それには問題があった。
”家から学校まで、直線距離で3,5Kmない”のだ
そこで…
以前に住んでいた住所で申請を出して、バイク通学の許可をもらったのだ
(もう時効だろう…
)
実は同じ町内で過去に2回引っ越しをしていたので、それがうまいこと使えた。
そして、晴れてバイクで通学することになる。
ボクの人生、最初にオーナーになったバイクは…
ホンダCB-50S。
4ストローク単気筒の、今で言う”環境にやさしい”オンロードバイクだ。
写真はその当時のもので、ナポレオンミラーやらスワローハンドルやら透明グリップなんかが付いている。
キーケースには、当時付き合っていた彼女の名「あけみ」と記されている。
ボクの影響を少なからず受けたであろう彼女は、後に免許を取得してサーキットでレースに出場するまでになる…
そんな高島礼子さん(同じライダーでA級ライセンスも持っている)みたいなステキな女性だった。
そしてボクはそれ以降、バイクとともに青春時代がはじまることになる。
ホンダCB-50S
ヤマハパッソル(ペパーミントグリーン改)
ヤマハFZR250
ベスパ90
ヤマハJOG(ストリート改)
ヤマハDT-200R
ヤマハSRX400
ヤマハFZR250
ホンダVT250
と乗り継いで、現在は新聞配達などに使われる
ホンダトピック
を所有している(バイクのことを知らない人はゴメンナサイ)。
実はボクは、当時流行ったマンガ”あいつとララバイ”や”バリバリ伝説”の世代でもあり、カワサキZ-II(ゼッツー)にも強くあこがれていた。
そしてボクが乗ってきたバイクの中で、特に思い出がたくさん詰まっているのが1台目のヤマハFZR250である。
これがそのFZR250(実物です)。
(この写真は、とあるマンガ家さんから「バイクの画を描きたいので、モノクロでバイクの写真を撮ってきて」とたのまれて撮ったものだ)
で、このFZR250。
シフトレバーをちょちょっといじると、すぐにレース仕様風の逆シフトにできるのだ
(通常は左足でシフトレバーを上に上げるとシフトアップ、下げるとシフトダウンになる。
でもレース用のバイクはその逆で、シフトレバーを下げるとシフトアップ、上げるとシフトダウンになる)
なぜこんなことをしていたかというと、レースへのあこがれももちろんあったが、危険回避の目的もあった。
街中で、シフトアップに備えてシフトレバーの下に足を入れっぱなしで走るクセのある人を見かけるが、
あれは実はキケンなのだ
そんなわけで、このバイクとの思い出については、後日ブログで紹介しようと思う。
ボクの場合クルマも同様だが、バイクの車種でそのときの青春時代(つきあっていた女性や出かけた場所など)がフラッシュバックする。
要するに、バイクはボクの相棒なのだ
皆さんも、そんな思い出がよみがえる”相棒”をたくさん持っているだろうか…
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